日本競馬の歴史を動かしたエンジン「セレクトセール」- 誕生から四半世紀、その軌跡と未来を徹底解剖

目次

  1. 導入:セレクトセールとは何か? - 日本競馬を変えた革命の舞台裏
  2. 第1部:セレクトセールの誕生 - 1998年、流通革命の幕開け
    1. 創設前の状況:「庭先取引」が主流だった時代
    2. 革命の理念:「開かれた市場」の創設
    3. 第1回の衝撃と成功
  3. 第2部:成長と変遷の軌跡 - データで見る四半世紀の歩み
    1. 売上総額の驚異的な伸長
    2. セール形式の変遷と戦略
    3. 日本競馬界の成長との連動
  4. 第3部:セレクトセール成功のメカニズム - なぜ世界最高峰の市場になれたのか?
    1. 要因1:圧倒的な「質」のブランド戦略
    2. 要因2:時代を牽引する「スター種牡馬」の血統
    3. 要因3:市場を動かす「キープレイヤー」の存在
  5. 第4部:【核心レポート】記録的熱狂の2025年セールを徹底分析
    1. データで見る2025年の異常事態
    2. 高額落札馬に見る市場の評価軸
    3. 関係者が語る熱狂の背景
  6. 第5部:セレクトセールがもたらした功罪と日本競馬の未来
    1. 光(功績):日本競馬のレベルアップへの貢献
    2. 影(課題):過熱する市場の懸念点
    3. 未来展望:持続可能な発展に向けて
  7. 結論:未来のスターホースが生まれる場所

導入:セレクトセールとは何か? - 日本競馬を変えた革命の舞台裏

「ディープインパクトとキングカメハメハを出したセリ」。この一言で、競馬ファンならば誰もがその重要性を瞬時に理解するだろう。それが、毎年7月に北海道・苫小牧のノーザンホースパークで開催される日本最大の競走馬セール、「セレクトセール」である。(ウマフリ)

1998年の創設以来、このセールは単なる競り市の枠を超え、日本の競走馬生産と流通のあり方を根底から覆す「革命」の舞台となった。かつては閉鎖的とも言われた取引慣行に風穴を開け、透明で公正なマーケットを創出。その結果、日本のサラブレッドの質を飛躍的に向上させ、今や世界中のホースマンが熱い視線を送る国際的な市場へと成長を遂げた。(netkeiba.com)

その熱狂ぶりは、年々更新される取引額の数字が何よりも雄弁に物語っている。2025年7月14日、15日の2日間で開催されたセールでは、売上総額が実に327億円(税抜)に達し、過去最高記録を大幅に更新。億を超える価格で取引された馬は86頭にも上り、会場は終始、異様なほどの興奮に包まれた。(アメーバブログ)(netkeiba.com)この数字は、もはや単なる好景気を超えた、構造的な変化と新たな時代の到来を告げている。

本稿では、この日本競馬の歴史を動かした巨大なエンジン、「セレクトセール」の四半世紀にわたる歩みを徹底的に解剖する。その誕生秘話から、驚異的な成長を遂げた軌跡、世界最高峰の市場へと飛躍を遂げた成功のメカニズム、そして記録的な熱狂に沸いた2025年セールの詳細な分析を通じて、セレクトセールが日本競馬にもたらした光と影、そして未来の展望までを深く掘り下げていく。これは、未来のスターホースが生まれる瞬間の記録であり、日本競馬の進化の物語である。

第1部:セレクトセールの誕生 - 1998年、流通革命の幕開け

セレクトセールの登場は、日本の競走馬流通史における明確な分水嶺である。その誕生がいかに画期的であったかを理解するためには、まず創設以前の日本の競走馬取引がどのような状況にあったかを知る必要がある。

創設前の状況:「庭先取引」が主流だった時代

1998年以前、日本の競走馬取引の主流は「庭先取引(にわさきとりひき)」と呼ばれる、生産者(牧場)と馬主が直接交渉して売買を行うプライベートな取引であった。(JRA-VAN)これは、長年にわたって築かれた生産者と調教師、馬主との間の信頼関係や「絆」によって成り立つ、良くも悪くも日本独自の慣習だった。

セレクトセールの仕掛け人であり、社台ファーム代表の吉田照哉氏は、当時の状況をこう振り返る。

「牧場で当歳馬が生まれると、調教師さんや馬主さんといったお客さんが見学に来られるんです。その方々は当然、そこで買えるものだと思っているわけですが、ある日突然『これはせりに出しますから、そちらでお願いします』と伝えるのは簡単ではなかったと思います。ある意味、思い切りが必要だったでしょうね。長い年月をかけて調教師さんとの関係を築き上げて、『あの先生は、ウチの牧場から馬を買ってくれる先生だ』といった絆で成り立っていたところもあったわけですから。」(JRA-VAN 吉田照哉氏インタビュー)

この庭先取引は、安定した関係性を生む一方で、いくつかの構造的な課題を抱えていた。第一に、取引の価格形成が不透明であること。交渉はクローズドな場で行われるため、その馬の正当な市場価値が反映されにくい。第二に、新規参入者にとっての障壁の高さだ。実績や人脈のない新しい馬主が、トップクラスの良血馬を手に入れる機会は極めて限られていた。吉田氏も「新たに入ってきた馬主さんのなかには、それまでの馴れ合いのような取引を非常に不満に感じていた方もいたようです」と指摘しており、公正な競争原理が働きにくい環境であったことがうかがえる。(JRA-VAN)

生産者側にとっても、庭先取引が常に最善とは限らなかった。本当に優れた馬が、複数の購買希望者によって競り上げられることで、より高い評価、すなわち高い価格で売却される機会を逸していた可能性があったのだ。日本の競走馬マーケットは、近代化と活性化の起爆剤を必要としていたのである。

革命の理念:「開かれた市場」の創設

こうした状況を打破すべく、一般社団法人日本競走馬協会(JRHA)と、その中核をなす社台グループが立ち上がった。彼らが掲げた理念は、極めてシンプルかつ革命的だった。「これまで市場に登場することがなかった良血馬を上場させることにより、サラブレッドの開かれた流通体制を構築する」ことである。(netkeiba.com)

これは、生産者が自信を持つトップクラスの馬を、あえてオープンな競り市に出すという、当時としては大胆な決断だった。その目的は、誰であろうと、資金さえあれば最高の馬を公正な価格で手に入れるチャンスを提供する「開かれた市場」を創り上げること。これにより、新規馬主の参入を促し、市場全体の活性化を図ると同時に、競走馬の価値を市場原理に基づいて正当に評価させることにあった。(JRHA公式サイト)

吉田照哉氏は、この挑戦に確かな手応えを感じていたという。

「ヨーロッパやアメリカがそうであるように、トップクラスの馬がせりに出てきたら絶対に盛り上がるだろうな、とは思っていました。当初から、目玉となるサンデーサイレンスの仔などがいましたからね。…こういうせりに対するみなさんの期待感がすごかったですし、かなりの確率で上手くいくという自信はありました。」(JRA-VAN 吉田照哉氏インタビュー)

この自信の背景には、世界標準のマーケットへの深い理解と、日本の生産馬の質への絶対的な信頼があった。セレクトセールは、日本の競馬を国内の慣習から解き放ち、グローバルなスタンダードへと引き上げるための、壮大な社会実験でもあったのだ。

第1回の衝撃と成功

記念すべき第1回セレクトセールが開催されたのは1998年。この年は、前年から続く金融危機の影響で日本経済が大きく揺れていた時期であり、セールの前日には与党が参議院選挙で大敗するなど、社会全体が不透明な空気に包まれていた。(日本経済新聞)

このような逆風の中での船出であったにもかかわらず、結果は関係者の予想を遥かに超えるものだった。第1回セレクトセールは、当歳(0歳馬)と1歳馬を合わせて、約50億円に迫る取引総額を記録し、衝撃的な大成功を収めたのである。(JRA-VAN)

この成功は、いくつかの重要な事実を証明した。第一に、トップクラスの良血馬に対する購買意欲は、経済状況に左右されないほど強固であること。第二に、「開かれた市場」に対する馬主たちの渇望がいかに大きかったかということ。そして第三に、日本の競走馬マーケットが持つ巨大なポテンシャルである。

この初回の成功は、単なる一過性のイベントの成功ではなかった。それは、日本の競走馬流通における旧時代の終わりと新時代の幕開けを告げる狼煙(のろし)であり、その後の日本競馬のレベルアップと国際化への道を切り拓く、歴史的な一歩となったのである。「セレクトセールの誕生が日本の競走馬市場を変えた」という評価は、この第1回の衝撃的な成功によって、早くも決定づけられていたと言えるだろう。(JRHA公式サイト)

成長と変遷の軌跡 - データで見る四半世紀の歩み

1998年の鮮烈なデビュー以降、セレクトセールは日本競馬界の成長と歩調を合わせるように、あるいはそれを牽引するように、驚異的な発展を遂げてきた。その四半世紀にわたる歩みは、客観的なデータを通じて見ることで、より鮮明に理解することができる。

売上総額の驚異的な伸長

セレクトセールの成長を最も象徴するのが、売上総額の推移である。初年度の約50億円からスタートし、市場は着実に規模を拡大。大きな節目となったのは、1歳市場が復活した2006年で、この年に初めて総売上が100億円を突破した。(馬市ドットコム)

その後も成長は続き、2021年には総売上225億円を記録。(NEWSポストセブン)そして、コロナ禍を経てもその勢いは衰えることなく、2022年には257億円(日本経済新聞)、2024年には289億円(アメーバブログ)と記録を更新。そして2025年、ついに前人未到の327億円という金字塔を打ち立てた。(netkeiba.com)

この成長の軌跡は、以下のグラフで一目瞭然である。

セレクトセール 売上総額の推移(2006年〜2025年)
出典: 各種報道資料を基に作成

市場の熱狂度を示すもう一つの指標が、1億円以上の価格で落札される、いわゆる「億超え」ホースの頭数だ。2021年には合計52頭(1歳28頭、当歳24頭)だったが(SPAIA)、その数は年々増加傾向にある。2024年には64頭、そして2025年にはついに86頭もの馬が1億円以上で取引された。(netkeiba.com)これは、単にトップ層の価格が上がっているだけでなく、高額馬を購入する馬主層が厚みを増し、市場全体が底上げされていることを示している。

セレクトセール 1億円超落札馬の頭数推移
出典: 各種報道資料を基に作成

セール形式の変遷と戦略

セレクトセールの成功は、単なる市場の追い風だけによるものではない。購買者のニーズや市場環境の変化に柔軟に対応してきた、巧みな運営戦略がその根底にある。

当歳市場と1歳市場の歴史

開設当初、セレクトセールは日本のマーケットの特性を考慮し、当歳(0歳)市場に重点を置いていた。生産者側からすれば、1年間管理するリスク(病気や怪我など)を回避し、早期に利益を確定できる当歳市場は合理的だった。(中日新聞Web) そのため、第2回(1999年)から2005年までは1歳市場を休止し、当歳馬のみでセールが開催されていた。(馬市ドットコム)

しかし、時が経つにつれて購買者側の趣向に変化が生じる。当歳馬はデビューまでの期間が長くリスクが高い一方、1歳馬はある程度成長が進み、馬体や気性を見極めやすいというメリットがある。こうしたニーズの高まりを受け、2006年に1歳市場が復活。これが起爆剤となり、セール全体の売上を大きく押し上げた。(馬市ドットコム) 現在では、「1日目に1歳馬、2日目に当歳馬」という2日間開催の形式が定着しており、それぞれの市場を好む購買者の多様な需要に応えている。

「和洋折衷」の運営スタイル

セレクトセールの運営は、米国の先進的なセリをモデルにしている。例えば、購買者が顔を合わせずに競り合えるレイアウトや、鑑定人が提示する価格に頷くだけでビット(入札)できるスピーディーな進行方式は、米国のスタイルを取り入れたものだ。(JRA-VAN)

一方で、日本の文化や商慣習に合わせた独自のルールも導入されている。その最たるものが、「上場者(生産者)が自分の馬を競り上げてはならない」という規定である。欧米のセリでは、価格を吊り上げるために上場者自身が競りに参加することが認められている場合もあるが、日本では「牧場から買う」という意識が強く、こうした行為は信頼を損なうと判断された。この「和洋折衷」のアプローチにより、国際的なオークションのダイナミズムと、日本的な公正性・信頼性を両立させることに成功したのである。(JRA-VAN 吉田照哉氏インタビュー)

日本競馬界の成長との連動

セレクトセールの活況は、日本競馬界全体の成長と密接に連動している。特に2010年代以降の動向は顕著だ。日本の競馬の売得金額は、1997年の約4兆円をピークに減少を続けていたが、2012年を底にV字回復を遂げ、以降11年連続で前年比プラスを記録。2022年には3.2兆円規模にまで回復している。(sellwell.jp)

この「第3次競馬ブーム」とも言われる好況の背景には、インターネット投票(IPAT)の普及や、魅力的なスターホースの登場、メディア露出の増加など、様々な要因がある。競馬産業全体が潤うことで、馬主の購買意欲も刺激され、その資金がセレクトセールへと流れ込むという好循環が生まれているのだ。

セレクトセールは、単独で成長してきたわけではない。それは、日本競馬という大きな生態系の中で、生産、流通、そしてレースという各要素が相互に作用し合いながら進化してきた、その象徴的な存在なのである。

セレクトセール成功のメカニズム - なぜ世界最高峰の市場になれたのか?

売上300億円超、世界中からバイヤーが集まる――。セレクトセールは、なぜこれほどまでに圧倒的な成功を収め、世界でも有数のサラブレッド市場としての地位を確立できたのか。その要因は、単一のものではなく、複数の戦略的な要素が複雑に絡み合った結果である。

要因1:圧倒的な「質」のブランド戦略

セレクトセールの成功を支える最も根源的な要因は、その名の通り「セレクト(厳選)」された上場馬の圧倒的な「質」である。これは、徹底したブランド戦略によって構築されてきた。

上場選定委員会による厳格な審査

セレクトセールは、誰でも自由に馬を上場できる市場ではない。吉田照哉氏や吉田勝己氏といった日本の生産界をリードする人物たちが名を連ねる「上場選定委員会」が存在し、そこで厳格な審査を通過した馬だけが上場を許される。(netkeiba.com)(T-TNK)

審査基準は多岐にわたる。種牡馬や繁殖牝馬の血統的価値、近親馬の競走成績、そして馬自身の馬体や将来性などが総合的に勘案される。例えば、近親に国内外の重賞勝ち馬がいることは非常に重要な評価ポイントとなる。(netkeiba.com) この厳しい選定プロセスが、「セレクトセールに上場される馬は、すなわち最高品質の馬である」という強力なブランドイメージを確立。購買者は安心して高額な投資を行うことができるのだ。

社台グループのコミットメント

このブランド戦略を根底で支えているのが、社台ファーム、ノーザンファーム、追分ファームなどを擁する社台グループの存在である。(社台サラブレッドクラブ) 彼らは、自らが生産したトップクラスの良血馬を惜しげもなくセレクトセールに上場させる。これは、庭先取引で有利な条件で売却することも可能なはずの馬を、あえてオープンな市場に出すという、セール創設以来の理念を体現する行為である。

社台グループの生産馬が市場の品質を保証する「ベンチマーク」となり、他の生産者もそれに倣って良質な馬を上場する。結果として、市場全体のレベルがスパイラル状に向上していく。創設当初は「社台グループのせり」とも揶揄されたが、今やその求心力が日高地区などグループ外の生産者にも好影響を与え、生産地全体を活性化させる原動力となっている。(JRA-VAN)

要因2:時代を牽引する「スター種牡馬」の血統

セレクトセールの歴史は、日本の生産界を塗り替えてきた偉大な種牡馬たちの歴史そのものである。高額落札馬の背景には、常に時代を象徴する「血のドラマ」があった。

血のドラマ:歴代スーパーサイアーの支配

セール黎明期から市場を熱狂させたのは、日本競馬の血統地図を根底から変えたサンデーサイレンスの産駒だった。彼の産駒は圧倒的な競走能力を誇り、その希少価値から高値で取引され、セールの名声を一気に高めた。(MAG!P)

その後、その系譜は歴史的名馬ディープインパクトへと受け継がれる。彼の産駒はセールの主役であり続け、2020年のセールでは、最後の世代となった1歳産駒13頭のうち9頭が1億円以上で落札されるなど、最後まで絶大な人気を誇った。(読売新聞オンライン) ディープインパクトと双璧をなしたキングカメハメハもまた、数々の高額馬を送り出し、市場を牽引する存在だった。

これらのスーパーサイアーの存在は、購買者にとって「成功への約束手形」のようなものであり、彼らの血を求めて熾烈な争奪戦が繰り広げられることが、セールの価格を押し上げる大きな要因となってきた。

世代交代と新たな期待:「ポスト・ディープ」時代の到来

ディープインパクト、キングカメハメハといった大種牡馬が相次いでターフを去り、市場は「ポスト・ディープ時代」に突入した。一時は主役不在による市場の冷え込みも懸念されたが、現実は逆だった。新たなスター種牡馬の登場が、市場をさらに活性化させている。

その筆頭が、ディープインパクトの孫にあたるキタサンブラックだ。自身の競走成績と産駒の活躍により、今やリーディングサイアーの座を争う存在となり、2025年のセールでも産駒が高額で取引されている。(ニフティニュース)

そして2025年、市場の話題を独占したのが、初年度産駒が上場された新種牡馬イクイノックスである。現役時代に世界最強の評価を得た同馬への期待は絶大で、産駒は平均価格1億5500万円という驚異的な数字を記録。最高額の5億8000万円で落札されたのも彼の産駒だった。(netkeiba.com) このように、血統の世代交代が新たな物語を生み、購買者の期待を煽ることで、セレクトセールは常に活気を維持し続けているのである。

要因3:市場を動かす「キープレイヤー」の存在

どれだけ優れた馬が上場されても、それを買う者がいなければ市場は成立しない。セレクトセールの成功は、常に意欲的な購買者、すなわち「キープレイヤー」たちの存在に支えられてきた。

歴代のトップバイヤーと購買者層の変遷

セール黎明期には、金子真人氏(ディープインパクト等の馬主)、近藤利一氏(アドマイヤの冠名)、関口房朗氏(フサイチの冠名)といった個性豊かな大物馬主たちが積極的に競り合い、高額落札を連発することで市場の相場を形成し、活気をもたらした。(JRA-VAN)

近年では、その顔ぶれに大きな変化が見られる。IT企業の経営者である藤田晋氏は、2021年のセール参戦以来、わずか5年で落札総額が100億円を超えるなど、今や市場の主役となっている。(netkeiba.com) また、「ダノン」の冠名で知られる(株)ダノックスも、毎年数十億円規模の投資を行うトップバイヤーとして市場を牽引している。(ライブドアニュース) DMM.comのようなネット企業も一口馬主事業と連動する形で参入しており、購買者層は多様化と厚みを増している。(税理士ドットコム)

グローバル化の波:世界が注目するマーケットプレイスへ

近年の日本馬の海外G1レースでの目覚ましい活躍は、セレクトセールを国際的なマーケットプレイスへと変貌させた。イクイノックスが2023年のワールドベストレースホースランキングで世界1位に輝くなど、日本産馬の質の高さは世界的に証明されている。(netkeiba.com)

これに加え、近年の円安傾向も追い風となり、海外の有力馬主にとって日本の良血馬は魅力的な投資対象となっている。2024年のセールでは、米国の大物馬主であるリポールステーブルが初参戦で5頭を落札し話題となった。(netkeiba.com) 2025年には、ゴリアットの馬主として知られる米国のジョン・スチュワート氏も高額馬を落札しており、セリの国際化はますます加速している。(日刊スポーツ)

もはやセレクトセールは、日本の馬主だけのものではない。世界中のホースマンが「日本でしか手に入らない最高の血統」を求めて集う、グローバルな競争の舞台となっているのだ。(JRHA公式サイト)

【核心レポート】記録的熱狂の2025年セールを徹底分析

2025年7月に開催されたセレクトセールは、日本の競走馬市場の歴史において特筆すべき2日間となった。取引総額、落札率、平均価格のいずれもが過去の記録を塗り替え、その熱狂ぶりは「異常事態」と表現するにふさわしいものだった。ここでは、最新のセール結果を基に、現在の市場トレンドと熱狂の正体を具体的に解き明かす。

データで見る2025年の異常事態

まず、2025年セールの驚異的な数字を見ていこう。2日間の取引総額は327億円(税抜)に達し、過去最高だった2024年の289億1800万円を約38億円も上回った。上場された467頭のうち453頭が落札され、売却率は97.0%という極めて高い水準を記録。これも史上最高である。(netkeiba.com)

セッション別の内訳は以下の通りである。

セッション 売上総額(税抜) 上場頭数 落札頭数 落札率 平均価格 最高額
1歳馬 (7/14) 155億4,600万円 227頭 225頭 99.1% 約6,909万円 4億2,000万円
当歳馬 (7/15) 171億5,400万円 240頭 228頭 95.0% 約7,524万円 5億8,000万円
合計 327億円 467頭 453頭 97.0% 約7,219万円 5億8,000万円
出典: netkeiba.com, アメーバブログ, Thoroughbred Market 等の情報を基に作成

特筆すべきは1歳馬セッションの落札率99.1%という数字だ。これは上場された馬がほぼすべて売れたことを意味し、購買者の強い需要と、上場馬の質の高さに対する絶対的な信頼を示している。また、当歳馬セッションでは売上総額が1歳馬を上回り、平均価格も高くなるなど、将来性への期待がより大きな金額となって表れる傾向が見られた。

セレクトセール2025 セッション別売上総額(税抜)
出典: 各種報道資料を基に作成

高額落札馬に見る市場の評価軸

記録的な売上を牽引したのは、超高額での落札が相次いだトップクラスの馬たちだ。2025年セールの高額落札馬トップ3を分析することで、現在の市場が何を最も高く評価しているかが見えてくる。

2025年セレクトセール 高額落札馬 TOP3

出典: netkeiba.com

この結果から浮かび上がる評価軸は明確だ。それは、「父の圧倒的な競走実績 × 母の(特に海外での)優れた競走実績」という組み合わせである。トップ3はいずれも、日本競馬の頂点に立った父と、海外のG1レースで輝かしい成績を残した母を持つ。これは、日本の生産技術とスピード能力に、海外の多様な血統が持つスタミナやパワーを掛け合わせることで、世界レベルで通用する競走馬を創出しようという、生産界の明確な意志の表れと言える。

種牡馬別に見ると、初年度産駒がデビューしたイクイノックスへの期待が爆発した。上場された24頭のうち23頭が落札され、11頭が億超え。平均価格は1億5500万円という、新種牡馬としては異例の数字を叩き出した。(netkeiba.com) これは、現役時代のパフォーマンスが、そのまま産駒の価値に直結することを示す典型例である。また、キタサンブラック産駒も安定して高い評価を得ており、ポスト・ディープ時代の新たな血統地図が形成されつつあることを強く印象付けた。

関係者が語る熱狂の背景

この歴史的なセールを、主催者である日本競走馬協会の吉田照哉会長代行は、驚きとともにこう総括した。

「世界中の人が驚くと思う。億が何頭も出るのは、日本のお客さんの層の厚さを物語っていますね。…昔は、馬の値段は採算を考えて…というのがあったけど、このごろは違いますね。その馬を欲しい、と思う人たちの気持ちで(価格を)競り上げていると思う。」(東スポ競馬)

このコメントは、現在の市場心理を的確に捉えている。もはや競走馬への投資は、賞金によるリターンを計算する単純な「投資」の論理だけでは動いていない。唯一無二の血統を持つ馬を所有したいという「情熱」や「夢」、そしてトップオーナーとしての「ステータス」が、価格を青天井に押し上げる原動力となっているのだ。

また、ノーザンファームの吉田勝己代表は、購買者が前年比で60〜70人増えたことにも言及しており(netkeiba.com)、新規参入を含む馬主層の拡大が、市場全体の需要を押し上げていることも間違いない。日本の競馬産業の好調さ、日本産馬の国際的な評価の高まり、そしてオーナーたちの熱い想い。これら全てが結集し、2025年の記録的な熱狂を生み出したのである。

第5部:セレクトセールがもたらした功罪と日本競馬の未来

四半世紀を経て、日本競馬における絶対的な地位を築いたセレクトセール。その存在は、日本の競走馬産業に計り知れない恩恵をもたらした一方で、その急激な成長と市場の過熱は、新たな課題や懸念も生み出している。ここでは、セレクトセールがもたらした「光」と「影」を多角的に評価し、日本競馬の持続可能な発展に向けた未来を展望する。

光(功績):日本競馬のレベルアップへの貢献

生産地への好循環

セレクトセールがもたらした最大の功績は、日本の生産レベルを劇的に向上させたことだ。高額な売却益は生産者に還元され、その資金はより優れた血統を持つ海外の繁殖牝馬の導入や、飼養管理技術の革新、育成施設の充実といった再投資に向けられた。(note) この「売れる→儲かる→強くなる」という好循環が、日本産馬の質を飛躍的に高める原動力となったのである。

国際競争力の源泉

セレクトセールを頂点とする国内のハイレベルな競争環境が、日本馬の国際競争力を育んだことは間違いない。かつては夢の舞台であったドバイワールドカップや凱旋門賞といった世界のビッグレースで、日本馬が互角以上に渡り合う姿はもはや珍しくない。2023年には、セレクトセール取引馬であるウシュバテソーロがドバイワールドカップを制覇し(馬市ドットコム)、日本産馬の実力を世界に証明した。セレクトセールは、世界と戦うための「最強馬」を創出する装置として機能している。

ファンの楽しみの拡大

セレクトセールは、馬主や生産者だけのものではない。セールのもようはインターネットでライブ配信され、多くの競馬ファンが未来のスターホース誕生の瞬間を固唾をのんで見守る一大イベントとなっている。POG(ペーパーオーナーゲーム)の指名馬選びや、近年人気が高まっている「一口馬主」の出資馬検討において、セールの結果は極めて重要な参考情報となる。ファンにとって、レースだけでなく、その前段階である「馬選び」のドラマに参加する楽しみを提供している点も、大きな功績と言えるだろう。

影(課題):過熱する市場の懸念点

価格高騰と参入障壁

市場の活況は喜ばしい反面、深刻な価格高騰を招いている。平均価格が7000万円を超え、億超えが当たり前となった現状では、一部の富裕層やトップ法人でなければ、良血馬に手を出すことは極めて困難だ。これは、馬主層の多様性を損ない、新たな才能や情熱ある個人が参入する障壁を高くしてしまうリスクをはらむ。夢のある世界であるはずの馬主業が、一部のプレイヤーだけのゲームになりかねないという懸念は、常に議論されるべきテーマである。

生産者間の格差拡大

セレクトセールで高い評価を得られるのは、主に社台グループをはじめとする一部の大手生産者である。彼らが良質な馬を生産し、高値で売却してさらに投資を拡大する一方で、中小規模の生産者がそのサイクルに入るのは容易ではない。2008年の時点ですでに「セール成功の影で進んだ『格差』」が指摘されており(JRHA 馬産地往来)、市場が拡大すればするほど、生産者間の経済的な格差が広がるという構造的な問題を抱えている。

引退馬問題への視点

毎年何百頭もの若駒が華々しく取引される裏側で、全ての馬が競走馬として成功できるわけではないという厳然たる事実がある。セレクトセールで高額で取引された馬でさえ、怪我や能力不足でターフを去るケースは少なくない。競走生活を終えた馬たちの「セカンドキャリア」をどう確保していくかという引退馬問題は、競馬産業全体で取り組むべき重要な課題である。(衆議院 農林水産委員会) 華やかなセールの光が強ければ強いほど、その影にも目を向ける責任がある。

未来展望:持続可能な発展に向けて

セレクトセールと日本競馬が今後も持続的に発展していくためには、いくつかの視点が重要になるだろう。

デジタル化のさらなる進展: コロナ禍を機に導入されたオンラインビットなど、デジタルの活用は今後さらに進むだろう。(RCの馬主生活ブログ) これにより、地理的な制約なく世界中からバイヤーが参加しやすくなり、市場のグローバル化をさらに後押しする可能性がある。

グローバル市場における日本の役割: アジアにおける競馬市場の成長は著しい。日本が持つ高い生産技術と公正な市場システムを活かし、セレクトセールがアジア全体のハブ市場としての役割を担う可能性も考えられる。海外からの購買者をさらに積極的に受け入れ、国際的な取引プラットフォームとしての地位を不動のものにしていく戦略が求められる。

エコシステムの構築: 最も重要なのは、生産から育成、レース、そして引退後のキャリアまで、競走馬の一生を見据えた持続可能なエコシステムを構築することだ。セレクトセールで得られた莫大な利益の一部を、引退馬支援や人材育成といった分野に還元していく仕組み作りは、産業全体の健全な発展のために不可欠である。

結論:未来のスターホースが生まれる場所

1998年、日本の競走馬流通に革命を起こすべく産声を上げたセレクトセール。それから四半世紀、セールは当初の理念を遥かに超えるスケールで成長を遂げ、今や日本競馬の進化を象徴し、その未来を創造する不可欠な「エンジン」となった。

327億円という数字が飛び交う熱狂の裏には、単なる投機的なマネーゲームでは片付けられない、幾重にも重なったドラマがある。世界最高の馬を創りたいという生産者の情熱。ダービー制覇を夢見る馬主のロマン。そして、次代のヒーローの誕生を待ち望むファンの期待。セレクトセールは、これらすべての想いが交錯し、未来のスターホースという結晶を生み出す「ドラマの舞台」なのである。

価格の高騰や格差の拡大といった課題を抱えながらも、この市場が持つエネルギーと求心力は、日本競馬を新たな高みへと押し上げ続けている。次のディープインパクトは、次のイクイノックスは、どこから現れるのか。その答えを探す旅は、これからも間違いなく、夏の北海道、ノーザンホースパークの競り台から始まるだろう。